2012年2月29日 08:10
元ベテラン運転手 トラさんの「泣いてたまるか」 No.26
トラックドライバーの誇り その24

私が三十代後半から四十代にかけての運送業界は、仕事は引く手数多あり、トラックが足りない状態が続いていた。バブル期だけではなく、バブルが弾けた後も住宅関連は潤っていたのが最大の要因である。もちろん、住宅金融公庫などの税制優遇処置が主な原因だったと思う。
その頃の私と言えば、とにかく欲と道連れに走りたい一心であり、頑張るだけ頑張った。主に、三重県の伊賀地区から関東への仕事が主流だった。夕方積み込み、翌朝の朝一番には荷降ろしを終え、次の仕事を待ち、決まるとそこに移動して、大概は大阪近辺で積んで帰った。距離も時間も、関東からの帰りの方が大変だったのだが、運賃は安かった。当然のことで、水屋が5~6社、中に入っているのでピンハネが大きかったのである。
それを、毎日休みなく運行したので、家に帰って眠るのは日曜日だけだった。つまり、週三回関東に上っていて、土曜日に関東からの関西方面の月曜着の帰りを積むと、日曜日が中一日開くのである。その時ばかりは、積んだ後には気が緩んでしまい、関東から出る前に爆睡状態になっていた。時には、朝まで行田のゲームセンターの駐車上で寝たこともある。ドライバーの皆さんはよくご存じのR17号バイパス沿いである。積み込みが早く頑張ったとしても、多くは長野県内でダウンしていた。
1号線周りだと、西湘バイパスのパーキングか箱根辺りが私の土曜日の夜の寝場所だった。しかし、積み込みが遅くなった日は、湾岸線の大黒パーキングで寝たことが何度もあるが、決まって深夜、未明には爆音に起こされた。そう、ヤンキーの溜まり場だったのだ。
しかし、帰り荷を斡旋してくれる取引先が、埼玉県の岡部町にあった関係で中山道を走ることの方が多かった。行田のR17からR407に下り、R140の花園インターを横目にR254に出て、下仁田から内山峠を越えていた。当時の内山峠は、大型通行禁止の狭い道で、内山トンネルの手前のパーキングで、テーブルマウンテンの荒船山の山肌を眺めながら眠りについたこともある。
だが、平日の運行ではもう少し頑張って、佐久市の内山地区に入り、「山彦」という鯉料理を食べさせてくれる店まで行った。当時の私の唯一の贅沢でもあった。この店のことは、コスモス街道人情街道として、私のサイトに書いているので読まれた方がいるかもしれない。
さて、今回は思い出話のようになってしまったが、次回は細かい点を書いていき、本題に戻りたい。

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トラさんのブログ「長距離運転手の叫びと嘆き」
http://www.geocities.jp/boketora_1119/ 

 


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