2011年2月18日 14:26
短期集中連載 ビンボー運ちゃん青春記

かつて『明日という日は、明るい日と書くのね』と唄った女性歌手がいた。『若いという字は、苦しい字に似てるわ』とも唄っていた。それにならって言えば、『トラックという字は、楽(ラク)と苦(ク)が絡み合った字とも言えるわ』といっても何ら差し支えないと思う。しかしながら、『楽あれば苦あり。苦あれば楽あり』というものの、トラックの仕事は余りにも『楽』とは縁遠く、『苦』の連続であることは、ご同輩の皆さんがよくよくご存知の通りである。ここに登場する、青春をトラックに捧げた元運転手・山高一浩氏も、ハンドルを握った当初は、荷台の幌に隠れて、あまりの苦しみの連続に「クククッ、クククッ」と泣いたクチである。しかし、そんなヤワな神経ではむろんトラックの運転手は務まらない。やがて若き日の山高氏も、ツラの皮のぶ厚い、したたかで逞しい運転手に成長していくのであるが、それはまた後の話。まずは青雲の志を抱いて、清く貧しく決して美しくなく、トラックに青春を捧げた山高一浩氏の回想に耳を傾けてみよう。これは、涙なくしては読めない、もちろん笑いなくしても読めない、元トラック運転手のセキララな、あまりにもセキララな青春の真実の記録である。 (キャップ)

第1回 あの素晴らしい日々をもう一度

フリーライターといえば聞こえはいいけれど、今も昔も「何でもやります・お仕事ください」が基本的なスタンスだから、フリーライターというよりフリーターという方が実態に近いかもしれない。そんな僕もヨワイ四十をとうに過ぎ、「リーリリリー」とツヅレサセコオロギが鳴く秋の夜長は、妙に襟元が涼しい、未だ独り者の身の上である。そんな時、なぜか懐かしく思い出されるのが運転手時代のことである。僕が運転手をしていたのは、25歳から29歳までの4年半だが、考えてみれば、僕の職歴の中でサン然と光り輝く時代だったような気がする。その光が何色だったかはさておいといて...。(山高一浩)

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今回の写真は山高氏のかつての運転手仲間の方々に友情出演していただいております